Obscurity and the language of the depressed
Eating fall-themed pastries on street corners
Obscurity and the language of the depressed
Eating fall-themed pastries on street corners
Posted on Friday, 10/21/22.
現代前に比べると文章を翻訳させられるのが比較的厳しくなくなったんだけど、この書き方は僕が伝えたい意味を隠すことも出来ますから有利はあると思うんだ。最近ちょっと表現しにくい感情が僕の頭の周りに浮かんでいるみたいな様子が始めたと思う。その表現混乱が進むにつれて、連絡能力が低下された気がする。なぜ僕がちょっと困っている時に入ったら遺体のように黙ってきたの?なぜ真っ昼に床に身を横たえるの?沈黙に沈む時に壁に照らされる光陽を眺めて、最近習った文法を復習するし、飲んだばかりコーヒーの淡い苦さを思い巡らするし、もっと本を読むべきってことを考えるし、哲学的な考え方にとってインターネットに与えられる影響はどんな形があるって誰もいない部屋に聞く。
最近習った単語は「取り繕う」。正しい使い方はまだ分からないが落ち着くのに関係あるのような気がする。辞書の例文は「彼女が取り繕うように、笑って見せる」。もっとこの言語に上達するために何かが必要なんだが分からないけど、苦しい状態も含むに違いないと思う。人間欲しいものと繋いで等価交換という表現がよく出ると思う。しかし超哲学的な謎より僕の状態は抽象的なことではなくシンプルな問題だもん。
永遠さえあれば、緊張しなくなって急に全ての問題が解決するって言うのは深夜に信じられるようになることもあるけど、外に出たら否定的な習慣に戻る。誰に習われたんだ?いつに特別な憂鬱の言語に上手くなってきたんだ?どうやって友達と話すのの代わりに部屋で深夜独習の方に興味ぶっかくなったの?一体何人と共に不明習慣に生き続けるのから逃げられなくなくの?
手紙が送られない人と手紙を交換したい。楽しみが経験できない人の上、楽しみを経験したことが覚えられない人と真っ暗い場所に話し合って煙草を吸ったい。若いうちに死すべきものを全身で分かりたくて恐怖に沈んで百年間に睡眠するような感じを経験したい。こう言うことが集まって僕の目標に足りないか分からないけど、最近と比べると効果的な味が含まれると思う。奇妙なことをやってみたらなんでも可能性があるような感じが経験しなきゃなんないって言うのは便利だと思う。楽観主義者か悲観主義者かどちらが奇妙なことをやってみたら上達したような気がする。これが憂鬱状態が治る方法の例の一つだ。
これを書きながら夕焼けが始まった。雲がほとんどないだから色が前より強いんだ。朝に買ったコーヒーの残りを一口ずつ飲み続いている。知る限り平和的な日没だと思うけど、僕が明日の優しさに信じるのが許せない。面白いな、この感情が溢れる文章。子供のような。
12月東京に来れば連絡してくれ。